DISPLAY

内在する「対称性」: DISPLAY

我々は楽曲を聴く時に、意識的・無意識的を問わず、様々な記憶を活用しながら解釈を行っている。それは、過去に聴いたメロディー、和声、リズムなどの記憶との比較に加え、一曲の中でも、以前に現れた部分の記憶に基づき、その部分の「再現、類似、変形」が行われているかどうかなどに敏感に反応している。DISPLAYの楽曲に感じられる全体としての統一感は、このような「再現、類似、変形」として楽曲内の様々な部分に内在する「対称性」に根ざしていると考えられる。この対称性は、主に、メロディー、ベース、内声などのラインによって構成されているが、ここではさらに、それらのラインが「順次進行」か「跳躍進行」かという点に着目して見てみよう。

まず、冒頭0'00''〜0'30''の部分をAと呼ぶことにする。Aの部分だけを簡単に打ち込んだものが以下の動画である。また、その下の楽譜は、このメロディを採譜したものである。

ScoreA01

このメロディーの前半部分を同一音の連続は同じ音とみなし、音が変化する部分だけを取り出したものが以下の楽譜である。

ScoreA02

ここで、連続する音が順次進行する場合を赤い矢印で示した。このように、前半部分は全てが順次進行である。また、後半についても、最後のミからソへの進行のみが跳躍進行であり、それ以外は前半部分と同じように全て順次進行から成っている。このように、Aのメロディーのほぼ全てが順次進行で構成されていることがわかる。

さらに、Aのメロディーの前半部分を単純化した上の楽譜をもう一度眺めてみよう。このフレーズはミの音から始まり順次進行の連続を経てまたミの音に戻ってくる構造を有している。ここで、このフレーズをこのミの音を中心として上下に反転させてみたものが以下の楽譜である。

ScoreA03

順次進行の反転は当然順次進行であることから、再度全てに赤い矢印が付加される。ところで、ここで、この一部である緑の部分に着目してみると、実は、これはAの部分に続くBの部分のシンセサイザーのフレーズに一致していることがわかる。このように、Bの部分はさらに順次進行で構成されているのみならず、そのメインフレーズは、Aのメロディーと対称な構造を有しているのである。

また、Aの部分には和声内にも特徴的な順次進行が現れている。以下は、Aの最後の部分の和声を示したものであり、内声で「ラ→シ」という2度上行の順次進行の繰り返しが行われている。

ScoreA04

改めて、Bの部分(0'30''〜1'28'')のシンセサイザーフレーズとベースを採譜したものが以下である。Bではこれが16回繰り返される。そして、ここでさらにベースの進行に着目してみると、これも順次進行で構成されている。そして、これは、先に見たAの最後の部分の内声の「ラ→シ」の2度上行の順次進行をシに対して対称に反転させた「ド→シ」という、2度下行の順次進行の繰り返しである。すなわち、Aの部分のメロディーがミから上がって戻り、内声がラからシに上がるという上方指向の動きであるのに対し、Bの部分はこれを対称に折り返し、ミから下がって戻るメロディーと、ドからシに下がるベースという下方指向の動きが中心となっていることがわかるのである。

ScoreB01

しかし、ここまでに展開された順次進行を基調とした上方指向と下方指向の対称構造は、これに続くC(1'28''〜2'01'')の部分で、跳躍進行を基調とした新たなモティーフの登場により一旦断ち切られる。以下はCの部分を簡単に打ち込んだものである。

この部分を採譜したのが以下である。1段目に示されているメロディーの冒頭を見ると、「ソ→ファ」のみは順次進行であるが、その後は「ファ→シ→ソ」と、青色の矢印で示される跳躍進行が連続していることがわかる。また、ここでメロディーがソから一旦低い音に移行した後、より高い音に移行して、最後にもとの音に戻る「波」型の形状をしていることに注目しておく。これは、順次進行のみから得られる「山」型の旋律とは異質な要素といえる。

また、2段目に示されている副旋律の4小節目は、主旋律とは対称に、最初の3つが跳躍進行で最後のみ順次進行である。跳躍進行の3つの音はB△の構成音であり、直後のG#m7コードの上方に構築されるB△に対応している。しかし、実はこの4つの音にも我々は聞き覚えがある。実は、この4音は、この曲の一番冒頭にピアノで奏でられる4つの音「ミ→レ→シ→ファ」の4音と全く一致しており、冒頭部分の記憶がこのフレーズにより喚起される。

このような、A、Bの順次進行の世界から、Cの跳躍進行の世界への移行は、あたかもチャンネルを切り替えたような、突然なものに感じられる。Bの部分で繰り返される16回のフレーズのうち、最後の16回目のシンセサイザーのフレーズのみがディレイやリバーブなどの残響音を断ち切るかのように打ち切られてしまうのは、このようなチャンネルの切替えを象徴しているのかもしれない。しかし、実はこれは単なる切替えではない。Cの部分には、主旋律・対旋律が見せる跳躍進行の背後に、A、Bの部分の基調となっていた順次進行が、和声の中に敢然と立ちはだかっているのである。

まず、楽譜の3行目と4行目にある、後半の9〜16小節目を見てみよう。ここでの和声進行は、「F#m7→B△/F#→F#m7→G#m7→A△→B△/A→A△→B△」となっているが、実は、ベースラインとその上の3和音をあえて分けて表示すると、「A△/F#→B△/F#→A△/F#→B△/G#→A△/A→B△/A→A△/A→B△/B」と考えることができる。すなわち、上部の3和音は「A△→B△」の上方順次進行の繰り返しであり、Aの内声の「ラ→シ」という2度上行の順次進行を想起させる部分となっている。一方のベースラインも「ファ→ソ→ラ→シ」という上方順次進行で構成されている。

前半の1〜8小節目もただ一カ所を除いて和声的には同一の構造である。異なる一カ所とは8小説目の3拍目からであり、後半部で「A△→B△」となっている和声が、ここでは「A△→B△/C#」となっている。この「B△/C#」はMagic of Loveでも触れた、フュージョン的な「分数コード」である。ここのベースラインは、本来は後半のようなシの音への順次進行が自然なのであるが、敢えて一音高いドの音に進行し、分数コードを形成することで独特の緊張感が生み出されているのである。そして、Cの部分は、最後にBのシンセサイザーのフレーズが再び現れて終わる。

ScoreC01

そして、これに続くD(2'01''〜2'30'')の部分は、ここまでに登場した様々なモティーフが統合され、高度な緊張感を持った楽曲展開がなされる。以下はこの部分を簡単に打ち込んだものである。

この部分を以下の楽譜で確認してみよう。まず、一段目の緑で囲った主旋律はAの部分と全く同一であり、順次進行で形成されるパートである。一方、2段目の副旋律は、まず紫で囲った跳躍進行を含む部分から入ってくる。ここは、Cのように、メロディーがシから一旦低い音に移行した後、より高い音に移行して、最後にもとの音に戻る「波」型の形状をしており、その要素との関係を感じさせる部分となる。しかし、それに続く水色の部分は順次進行を基調として形成されており、緑の上向きな山形と対称となる下向きな山形の部分ということがいえよう。

また、和声についてもここまでに現れた要素との対称性を想起させる面が多々見られる。まず、冒頭の2つの和音は「A△→B△」であり、これはCの上部の3和音「A△→B△」と全く同一である。また、ここで、和声の継続時間によるリズムの変化にも注目しておこう。Aの部分の和声の変化は概ね2小節毎であったのに対し、Cの部分は概ね1小節毎、そして、このDの部分は概ね半小節毎に変化をしている。このような動きの加速も、Dという一つのクライマックスへ向けての緊張感の高まりを演出しているといえる。

ところで、Cで順次進行に留まっていたこの和声パートも、このDの部分では跳躍進行によりダイナミックな動きを持っている。「A△→B△」に引き続き、「G#m→A△」となるこの4つのベースの動きは、跳躍進行を含み、かつ最初のラの音から上下動を経てまたラに戻る「波」型形状である。これは、Cの波形や紫の波形とは対称形をしており、これらとの関係を保ちつつも異なった動きを感じさせているといえよう。これに続く和声進行は、「F#m7→G#m7→C#m7→E」であり、この最初の二つはやはりCの部分で使われていた和声進行の再現である。また、ベースの進行は「ファ→ソ→ド→ミ」であり、最初のみ順次進行で後の3音は跳躍進行となっている。また、跳躍進行の3音はC#mの構成音となっている。これは、Cの副旋律後半で、最初の3音が跳躍進行で最後のみ順次進行、かつ、跳躍進行の3つの音はB△の構成音であったことと対称になっていると考えられる。概ね、この繰り返しでDの部分は展開されていくが、最後にこの楽曲唯一の臨時記号が現れる。それは最後の小節の「Am→B△」のAmに含まれるナチュラルのドの音であり、この同主短調からの借用音において、この曲は一つの頂点に達することとなる。

ScoreD01

この後、この曲はやや和声感に乏しいEの部分を迎える。ここで繰り返される「DISPLAY」というフレーズは「ファ→ミ」という2度下行の順次進行の繰り返し、つまり、Bで見た下方指向の順次進行の再現である。ただし、ここで「DIS」と「PLAY」は異なるメンバーの声で構成され、順次進行特有の連続性が意図的に破壊されている。このような連続性の破壊は、もともとはサンプリングテクノロジーによってもたらされたものということができるが、ここでは、これを声質の不連続性によって(もちろんサンプルしてカットアップしていることもあるが)実行し、順次進行においても強度を保つ表現に成功している。

DISPLAYという楽曲の素晴らしさは、ここで述べた旋律的な特徴のみに留まらず、例えばAの部分におけるシンセサイザーの倍音豊かな音色によるパワーコード風の和声表現、BやDの部分における過激なシンセサイザーの音色など、中田氏のシンセエディットが光る面もたくさんある。ただ、それらを含む楽曲の種々の要素はただ漫然と配置されているのではなく、楽曲に内在する「対称性」を通じて様々な部分で我々の記憶を想起させ、点と点を線としてつなげていくことによって一つの大きな楽曲としてまとめあげられているのであり、それがこの曲の素晴らしさの本質的な部分となっているのである。

PTO: ver1.0 (2014/11/02)